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九州訪問記(鹿児島)

2014-08-26
先日九州の熊本へ行った際、ちょっと足をのばして鹿児島まで行ってきました。
鹿児島の知覧です。
 
 
知覧という町をしっていますか?  知りませんか?
では特攻隊はしっていますか?神風特別攻撃隊、カミカゼです。
特攻隊は多くの方がご存知でしょう。
 
特攻隊は日本軍が太平洋戦争の終盤に採用した作戦で、出撃したら最後、二度ともどることはない体当たり作戦です。アメリカ軍が沖縄に上陸して沖縄戦がはじまると、あとがなくなった日本軍は捨て身の特攻作戦を行いました。
 
知覧には戦前から飛行場があり、沖縄にもっとも近い飛行場だったことから、ここが特攻隊の基地とされ、ここから多くの特攻機が出撃していったというのです。
 
この知覧の町には、知覧特攻平和会館という建物があり、ここには特攻隊員の遺書をはじめとした品々が展示されているのです。
以前から何かの機会に是非行きたいと思っていたのですが、なにせ遠いのでなかなかその機会を得なかったところ、今回せっかく熊本まで行くのならと、強行軍ではありましたが、レンタカーに乗って行ってきました。
 
中にはいると、特攻隊の隊員の遺書や遺品、その他特攻隊や戦争関連の資料や物品が膨大に展示されています。よくぞここまで集めたものだと圧倒されると同時に、それらの遺書はとても涙なくして見れたものではありません。
以前、小泉首相がここを訪れて涙を流していましたが、入ってみるとその心情はたいへんよくわかります。
 
 
多くは20歳前後の、若い隊員たちです。確実に死ぬ攻撃を待つ時間とはどういったものなのだろうか、敵艦に向けて操縦桿を握る間どんな思いだったのだろうか、といったことを、館内にいる間中、否応なしにずっと考えさせられます。
 
 
それにしてもなぜ、日本軍においてはこのような作戦が採用されたのだろうか。特攻はほかの作戦とは明確に異なります。死ぬ危険の高い難しい作戦というのは他に多くあるでしょうが、特攻は必ず死ぬことを前提とした作戦です。
このような作戦は人類戦史上、ほかに例をみないものだそうです。
 
半藤一利氏の「あの戦争と日本人」などを読んでいると、特攻作戦が採用されていった経緯なども書かれていてとても興味深いですが、それでもなぜ日本においてはこんな戦い方が本質的に出てきたのだろうかというのがどうしても僕には理解できないです。
 戦況逼迫して物資もないなかで追い詰められたから?
それとも日本の武士道精神というものでしょうか?
 
 
特攻隊員の遺書が彼らの思いのすべてでは決してなく、書きたいけれど書けないこともたくさんあったはずで、この遺書の行間にどんな思いが詰まっているのかと思うととてもやりきれない気分になります。
 
 
なんども訪れる人もいるようで、福井からは遠い地にある施設ですが、近くに行った際にはぜひ立ち寄ってみていただきたいと思います。

九州訪問記(熊本)

2014-08-26
先日、高校時代の友人の結婚式があって熊本へ行ってきました。
 
彼は海上自衛官で、僕は 彼が海上自衛官になってからは彼のことをいつも「幕僚長」と呼んでいます。
もちろん本物の海上幕僚長は別の人です。
 
九州に行くのはたぶん高校の修学旅行以来です。
距離は遠いけれど行ってみると大阪まで特急で、そこからはずっと新幹線に乗りっぱなしで、結構ラクに行けるものなんですね。
 
前日は雨だったようだけれど当日は雨にもあたらずよかったです。
海上自衛官の白い制服に身を包み、帯刀して式に臨む姿はとってもカッコよく、高校の教室で放課後一緒に数学のノートを写しあっていたころとはまるっきり別人でした。
海上自衛官のカッコいい制服とか、いい写真がたくさんあるのですが、本人のプライベートな写真なので載せるのはやめときます。
 
そして海上自衛官だけあって、式には自衛隊の方はもちろん、アメリカ海兵隊の少佐やアメリカ陸軍の少佐の方も出席されていました。
ビールたくさん飲んで勢いつければお話できるかなと思ったけれどムリでした。
 
式のあとしばらくすると今度は北国に異動ということで、文字通り全国あちこちに赴任するようで、なかなかたいへんだと思うけれども、幕僚長 どうぞお幸せに!!

氷室京介のライブに行った

2014-05-12
5月10日の土曜日、福井フェニックスプラザにて氷室京介のライブがあってチケットがとれたので行ってきた。
席はかなり後ろのほうだったが。。。

初めてだったのでどんなんだろうと楽しみに入っていったのですが、やっぱりカッコいいですねー

あんな声で歌えたらそりゃあ気持ちいいだろうなー、とつくづく思った。
それにしても53歳であんなド派手なライブができるもんなんだなあ。
公演日程見たら2,3日おきに各地をまわっている。体力もいるよね、これ。
客席で立ってみているだけでも疲れたというのにww

会場でたまたま先日お世話になったお客様にお会いしたのですが、その方も若い。
前に仕事でお世話になったときから若々しいなあ、と思っていたのだが、氷室京介のファンでしたか。
どおりで若々しいはずだと妙に納得した。

スカッとしていい気分になれた時間でした。
またチケットとれたら行こう。

一人の解釈で国のかたちは変わるのか

2014-05-09
今年もゴールデンウィークがあっというまに過ぎ去りましたが、今年は憲法記念日をはさんで憲法改正が例年よりとても注目されていますね。

理由は言うまでもなくお分かりだと思います。テレビや新聞でも最近は毎日のように集団的自衛権の行使についての記事が載っています。


・安全保障環境は現行の憲法制定時から大きく変わっている。
・同盟国が攻撃を受けているときに日本がそれに対して攻撃できなくてよいのか。

このような実際上の不都合があるということで、わが国の首相は年内にもこの国のかたちを変えようとしています。



僕は、改憲したいのならば真正面から明文改正すべきだと思う。
国のかたちを大きく変える要素をふくむ事柄を、解釈変更だけでなんで変えられるのだろうか。

解釈変更には十分議論を尽くすと言っているが、「議論を尽くす」と繰り返しているうちに、いつの間にか「議論は尽くした」ことになって、閣議決定に至るのではないだろうか。
解釈によって変えることは明文で変えることの何倍も危険なことであると思います。
そもそも「解釈改憲」などという言葉で表現されていること自体が、いかに矛盾しているかを物語っていると思う。



「戦争のつくりかた」という本があります。http://sentsuku.jimdo.com/
ちょっと読んでみてください。国家がどのように戦争に向かっていくのか、たいへん的確に書かれていると思います。
本の冒頭数ページがおどろくほど現在の状況にあてはまります。もちろん、首相が戦争を目指しているなどとは思いません。でも解釈が独り歩きすることがどれだけ危険なことか、この本はよく伝えてくれていると思います。

そんな大げさな…と言われるかもしれないけれど、土台が変われば矢じるしの向く方向なんて結構簡単に変わってしまうものじゃないですかね。そしていったん大きな矢じるしの示す方角が変わればその後少しずつ変わっていく一つ一つの事柄なんてあまり気にされなくなってしまうものだと思う。



実際、安倍首相は当初、「まずは改憲手続を定めた96条の改正を目指す」と言っていたのにそんなことはすっ飛ばしていつの間にか憲法解釈を変えると言っています。いまでは96条の改正議論など全く耳にしません。

そして、
集団的自衛権の行使は認めても「必要最小限度の範囲内」にとどめる。
「地球の裏側まで戦いに行くことはない」と。

でも最近のニュースでは「集団的自衛権の行使の対象国は絞らない」という方針と伝えられています。

必要最小限度の範囲内での行使って?
こんなのは何も言っていないに等しい。

それにしても、「憲法で禁じられている」という、長年にわたり言ってきた事柄を、安全保障環境が変化しているからということで閣議決定によって変更するというのはなんちゅう荒業だよ。



改憲手続を経た改憲ならば、必ず国民投票を経ます。政府は議論を尽くすというが、政府の解釈を変えることについて国民が制度上どれだけ議論に関与しうるのだろうか。

憲法で国のかたちは決まります。憲法96条では改憲手続が定められているけれど、そこでは、この国のかたちを決める憲法を変えるのは国民の意思によらなければならないことがはっきり記されています。
解釈改憲には国民の意思決定過程を反映させる工程がどこにも担保されていない。

解釈改憲・・・憲法の手続きによらずに憲法を変える・・・どこかの国では憲法違反は首相を失職させるほどの重大事だそうだが。

「永遠の0」を読んで

2014-01-18
いま劇場公開されている映画「永遠の0」の原作本を読んでみました。
先日ラジオで作者の百田氏はこの作品を書いた理由についておおよそ次のような趣旨のことを述べていました。

最近の若い人たちは「もう死にたい」と軽く口に出していうけれど、ちょっと時間をさかのぼれば、家に帰って家族の顔を見ることができるかどうかすらわからず戦争に行った人たちがいた。
それは決して遠い昔のことではなく、少し前の、自分の父母・祖父母の時代に実際にあったことである。
何事もなく家に帰って家族に会うという、当たり前すぎることができない時代があったのである。
あと10年もすれば当時のことを知る人たちはほとんど世を去ってしまう。
いま、あの時代のことをもっと若い人に知ってほしかった。

映画化されているのは知っていたけれど、どんな話なのかなあ、程度にしか思っていなかったのですが、原作者のラジオでの会話を聞いて、原作本を買って読んでみたくなって一気に読んでしまいました。

話の展開もとても面白かったけれど、それと同時に、当時の零戦の特攻隊員・特攻要員の内面の気持ちを、フィクションであることを忘れてしまうほどに生々しく詳細に表現していると思いました。

読めば読むほど、かなりの時間をかけて取材などを重ねて書かれたものであろうと推測されました。

これが映画でどのように表現されているのか、とても気になるなあ。
是非映画館に行ってみたいと思います。

映画はまだ見てないけれど、原作本はとってもおすすめです。
是非読んでみてください。
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